【幹部のつぶやき】朝練に通った結果、北大院に入れた件

2024.10.02 ブログ

このブログは、北大院生になりたい方、外部からの大学院受験がどういうものなのかを知りたい方に向けての、僕自身の体験談です。とはいえ気の向くまま書いていますので、自分語り味が強く、かなり無駄な情報も多いです。なので「文章構造がうんぬん」等の意見は勘弁してください。倶楽部はブログ含め、誰でも挑戦できる場って吉永さん(現副部長)も言ってるし。

初めましての方が多いと思うので、自己紹介からさせていただく。以下が僕のプロフィールである。要は、現状北大生ではないということを伝えたいだけなので飛ばして頂いても構わない。

名前:佐藤汰功斗(サトウタクト)

所属:筑波大学理工情報生命学術院システム情報工学研究群社会工学学位プログラム

学年:3年目(1留2休)

趣味:歌、音楽鑑賞、スマブラ

まずは、この倶楽部を知ったきっかけから話していく。ただ、そもそも「なんで筑波大生が北海道におるん?」という疑問を抱く方が大半だと思う。(というか初対面の方に100パー聞かれる)

理由は大きく分けると2つ

  1. 筑波の大学院で不登校になったから
  2. 親族の病気が発覚したから

 

#筑波大学院1年目

もともと筑波大の院生なので、院生になりたての頃はつくば市に在住していた。ところが、当時所属していた研究室がまあ厳しかった。というか自分の力量が足りなさすぎた。巷では、「うちの研究室厳しくてさ~」という学生が多いが、そういった学生と何人か話した中で、僕以上に厳しい条件の研究室を知らない。もし「うち厳しいですよ」という方がいれば連絡してほしいくらいだ。酒おごるから話そ。傷なめあお。

人によって厳しい研究室の条件は異なるのは当たり前だが、僕が思う厳しい研究室は「超放任&高成果必須」である。巷の研究室はゼミというものがあり、4年から配属された方に向けて基礎知識を学習する機会があるらしい。当時は他の研究室の手厚さに驚愕したものである。やばすぎ。面倒見良すぎないか?コアタイムが長いとつらいという方もいるが、逆に言えば、サポートも手厚いとも捉えられると思う。逆にそのコアタイム内で何ができるか逆算もしやすい。時間や担当教員とのコミュニケーション頻度がある程度決まっているとなおさら調整しやすい。また、「高成果必須」というのは、シンプルに担当教員の論文査読が厳しいという意味合いであるが、これもきつい。シンプルに論文を通してくれない。とはいえ通る論文の書き方なんて知らない上に、わからないこともわからないから何を聞けばいいかもわからない。

昔はChatGPTなんて便利なものはなく、地道にネットや本で調べるしかなく、当時の僕が研究に息詰まるのに時間はかからなかった。何とか卒論は通して頂いたものの、研究を続ける気力は新年度の時点で消えていた。同じ学科の別の研究室にも訪問したが、「○○先生の研究室にいるならそこで研究すれば?」「うちはもう定員で」の門前払い。好きな分野を勉強できないのに年50万近くお金払うって何なん?いかれてる。このテンプレお断り文にあと3年苦しめられることを当時の僕は知らない。

新年度になると同時に人生で初めて不登校になった。まあ今でも筑波大学不登校ではあるのか。

少なくとも1年は他の同期より就職が遅れる。その危機感から、東京のビジネスコミュニティに所属。ここがまあ凄かった。意識が高すぎる。自己紹介で「今やっていること」を全員必ず言うのである。インターン、個人事業、サークル立ち上げ、ごつい。なんだよ今やってることって。俺は24歳不登校児、やっていることはバンドと酒とラーメンとスマブラだっつーの、悪いか。当時は完全にビジネス否定派だった。

当時は、ラインの返信もろくにできない社不だったので、ビジネスコミュニティになじめず、とある先輩から厳しいフィードバックも受けた。ただ、それと同時に期待もしてもらっていることも伝わった。こんな自分のために真摯に向き合ってくれたことに今も感謝している。今思えばそこがターニングポイントだったかもしれない。

それから、その先輩の教育事業のお手伝いをするようになった。人生初のインターンである。最初は慣れなかったが、成果を出せたときの達成感は、バンドとは違う脳汁味がある。ここで、「社会に出ても仕事ができて、仕事ができない人を助けるような存在になりたい」という想いが強くなった。

しばらくして、営業のインターンも掛け持ちで始めた。当時は(というか今も)、ビジネス上で人と話すのが苦手で、そんな自分を変えたいという一心で、ビジネスコミュニティ経由で、営業会社を紹介して頂き、インターン生として入社した。ここも最初は厳しかったが、まあ楽しい。成果が数字で出る上、目標を達成したときにチーム一丸で喜べるあの空気感。今でも忘れない。

この時には完全にビジネス肯定派になっていた。

そんな中、家族から連絡が来る。祖母の癌である。じゃ地元の北海道戻るね。即決だった。研究は大学に通わないとできないが、今は不登校なのでOK。ビジネスは東京でなくてもできる。次の日には筑波大学に休学届を出していた。

なかなか大学院関係の話に移行せず申し訳ない。ただ少なくとも大学院1、2年目は大学院、言い換えると研究に対してモチベーションが低かった。そして大学での研究がいかに価値があるものかもわかっていなかった。

 

#筑波大学院2年目(北海道に帰省)

北海道に戻って1か月。これまで続けていたインターン2つをリモートでこなす日々だった。リモートに慣れるまで1か月もかからなかったものの、人と話せないのがつらかった。東京ではビジネスコミュニティのメンバー、インターン先の先輩、同じインターン生、ビジネスの話ができる人に囲まれていた環境がいかに貴重だったかを悟った。やはり東京にはちょこちょこ行った方がいい。

とはいえ、このままだと北海道でビジネスの話ができない。そう思い北海道のビジネスコミュニティを調べたが、社会人コミュニティしかなく有料のものばかり。事業もしていない自分は参加すらできない。そのため、まずは北大のサークルに絞ってビジネスコミュニティを調べた。いわゆるビジネスサークルのようなものである。

そこでとある団体を見つける。

「未来開拓倶楽部」

いや怪しすぎる。なんらかの集合写真(クリパ)が添付されていたが全員目がガンギまっている。これは何回も東京で見てきた、意識が高いやつの目だ。面構えが違う。ただ、参加無料で学生のみのコミュニティということで、インターンの気晴らしに行ってみようと思い、直近開催の「マーケティングゼミ」に行くことにした。

外観から人の霊圧を感じない寮らしき建物(汝羊寮)の中に入ると、外観に反して多くの学生が座っている。前には坊主の方とその部下らしき丸眼鏡の方が座っていた。自己紹介で、「筑波大学のサトウタクトと申します」と言ったときの周りのリアクションが以外と控えめだったことを覚えている。北海道では希少種だぞ。珍しがれ。

打ち上げではアムエルと後藤さん(前代表)と話したことを覚えている。後藤さんが倶楽部の紹介をしてくれたものの、やっていることの幅が広すぎてよくわからん。アムエルとはSabatonというミリタリーメタルバンドの話をした。軽音サークルでしか聴いたことのないバントを知っている人間が北海道にいるとは。Fields of Verdunは神曲。

どうやらお金もかからなさそうなので、他のゼミにも行ってみる。シンプルに勉強になる。すげえ。当時はインターンも続けていたので、ゼミで勉強したこともインターン先でアウトプットしたりしていた。倶楽部のゼミは実際に働いてみるとより役に立つと思う。僕はやりたいことが明確にないうちはとにかく遊んでおいたほうがいいと思う派なので、学生にインターンを勧めていないのだが、ゼミをより効果的に受ける一番良い方法は、実際に働くことだと思う。

何個かゼミに行くうちに、自分も何か主体的に動いた方が、北海道で自分のできることを広げられると思い、後藤さんや今井さん(マーケティングゼミ講師、社長、坊主の方)に相談したところ、倶楽部で何かするなら顧問の土屋先生と話した方がいいとアドバイスを頂く。この時点で7月あたりか。起業ゼミに行くことにした。

起業ゼミの会場(FMI)に入ると、土屋先生らしき方と後藤さんとその他の方(すみません覚えてないです)がいる。ゼミが始まるとまず自己紹介が始まった。最初の方の自己紹介が終わったと思った矢先、その方が話し終わる前に、土屋先生がその方について根掘り葉掘り聞き始めた。挙句の果てに、「学生は自分から動いた方がいいんだよ!」「そのために倶楽部を作ったんだ!」と聞かれてもいない情報を語りだす。

なんだこの人。おもろ。

この先生を好きになるまで時間はかからなかった。

土屋先生の経歴を調べると、どうやら一学生が予約もなしに気軽に話せるような人ではないことに気づいた。それと同時に、起業ゼミには「朝練」というイベントも存在し、そこでまた土屋先生と話せるということも知った。早起きは大嫌いな上、実家からFMIまで1時間かかるが、「土屋先生と話せるならいっか」と思い、次の週の朝練に行くことにした。

その日から朝練に通いつめ、開始15分前にFMIに入り、土屋先生が到着次第10分ほど近況を話したうえで、日経新聞を読む日々が続いた。

以下に朝練の目的と日経新聞の読み方をまとめておく。いつも土屋先生が朝練開始時に説明していることをまとめているので、解像度は高いはず。

 

朝練の目的

  • 大学生が正しい情報を得るため
    • 統計的なデータ
  • 新聞を複数日まとめて見ることで有機的に情報を得ることができる
    • 結構同じトピックが連日扱われていたりする
    • 新聞=地図帳
    • 点ではなく線で情報を追う

日経新聞の読む順番

  • 表記の見出し
  • 下の広告欄
    • どの本が出てるか理解できる
  • 見出しで気になった記事
    • 全て読みたい記事は写メを撮る
  • 引用するときは日にちをストックする

 

朝練に参加することのメリットは、今思うと2つあったと思う。

1.自分の興味と世の中のトレンドをすり合わせられる(研究も!)

2.土屋先生と話せる

1は、ビジネスだけではなく、大学の研究や就職先の選択においてもめちゃ使える。まじで。

日経新聞は世の中で何にお金が使われているかが数字っていう明確な根拠をもとに書かれてるから、早い話、将来自分が何をすればお金に困らないかがわかるようになる。大学の研究は常に最新の世の中のトレンドを追っているわけじゃないし、就活イベントも参加企業の利益も考えられてるから、けっこう偏りあるんよ。だから、自分が何をすればいいかめちゃ明確になる。

2が個人的には一番アツい。土屋先生がおもろい。自分の細かい悩みも、割とどうでもいいことだったと思わせてくれる。当時はまだ休学中で、退学秒読みだったものの、自分の武器があれば世の中を渡り歩いていけると思わせてくれた。正直、土屋先生は他にはいないタイプの大人なので、苦手と思う方もいると思う。ぶっちゃけそういう人の気持ちもわかる。人には得意苦手なタイプがあるのは当然よな。ただ僕は個人的に土屋先生が面白いと思っているのでいつも朝練に行ってる。行く理由はそれだけでいい。土屋先生、いつも話を聞いてくれてありがとうございます!これからもよろしくお願いします。

そして、7月中旬で北大の大学院の願書を2つ出した。ただ当時は学生でいたいという気持ちのほうが強く、その先になんの研究をしたいかを考えてなかった。その結果、勉強に本腰を入れることができず、結果、2つとも落ちる。この時点で同時期に院試を受けていた宮地とアムエル(倶楽部幹部)は僕の先輩と化す。先輩今度なんか奢って。

本格的に北海道で何かしら動いていかないと北海道の学生に置いていかれると感じ、続けていた教育事業インターンと営業インターンを12月付けで止めた。リモートで続けるよりも北海道でできることを模索しようと思った。

そこから長期インターンイベントで恩師である米澤さん(Fire Cracker代表取締役、ITコンサル会社)に会い、音楽の話で意気投合。1月から米澤さんのもとでインターンを始めつつ、Mirai Kaitaku Fesに向けてのゼミ紹介動画を太生(たいせ)さん(倶楽部幹部)の協力のもと、作成したり、竹岡(俱楽部幹部)と生成AIコンテンツ作ってみたり、北海道でできることをやりまくった。今年はこの1~3月が一番きつかった気がする。

そしていつものように朝練に行き、近況報告をしていたところ、土屋先生から

「佐藤君の興味分野AIだよね?AI関係で良い研究室が北大にあるから、紹介してあげるよ!」

と仰って頂いた。当時は大学院に行くモチベーションもあまりなかったが、インターンでもAIを使っていたことからAIにも興味が湧いており、訪問させていただくことにした。

訪問させていただいた研究室は、自分の研究室の常識をいい意味でブチやぶってくれた。

まず先生と生徒との距離が近い!ゼミもある!自分が興味のあるAIの研究めちゃしてる!何より、他の研究室で散々頂いたテンプレお断り文ではなく、「佐藤君はこの研究室でこれから何をやりたい?僕も協力するよ!」と言って頂けた。世の中の教授方。この一言をどれだけ生徒に言ってあげられていますか?

 

最初に訪問した日からこの研究室に入りたいと本気で思った。まだこの拙い文章を読んでくれている方、お待たせしました。北大大学院受験編開始です。

 

#筑波大学院3年目(今)

 

先に外部の大学院を受験する時のポイントから挙げていく。

外部受験のポイント

1.できるだけ先生、先輩と直接話す

2.各科目の点数配分から勉強分野の優先度を付ける

3.AIをできるだけ使う

4.研究分野に関連する最新情報を調べておく

 

4月からは空いている日はすべて研究室に訪問させていただいた。幸い、この研究室は空いている席があり、そこを使うのであれば出入りしてもよいとのことだったので、遠慮なく通い続け、先生や先輩にとにかく相談した。ただ僕は陰キャにつき、自分から話しかけるのが苦手なため、いつでも話しかけられてもいいようにとにかく研究室に通った。

もちろんただ研究室で作業するだけの日もあったが、その日は次に先生、先輩に何を聞くかをブラッシュアップする日にした。その結果、1か月経つころには、自分の研究内容、大学院受験のポイント、勉強すべき教材、その他有益な情報を教えていただけた。正直、外部受験が不利と言われている要因は圧倒的に、先生、先輩とのコミュニケーション不足だと思う。オンラインなら特にそうだと思う。聞きたいことがあっても文章で他人から送られるのと、研究室で休憩がてら直接話すのとでは、教える側のコストが全然違う。

インターンも一区切りつき、6月からはとにかく試験勉強をした。僕が受験する北大の情報科学院はペーパーテストの配分が大半と聞いたので、ペーパーテストで平均点以上を取れるよう、過去問を周回し、教科書の例題も全て解けるようにした。合計の勉強量で言うと、30枚ノートを10冊丸々埋め、毎日3時間は最低でも勉強していた気がする。ムラはあってもいいと思うが、一週間で各科目をどこまで進めるか方針を立てていた。また、過去問をまずは奇数年から解き、わからない箇所は教科書やGPTで調べていた。7月下旬の時点で、過去問は8割ほど解ける状態たっだと思う。先に過去問、つまりゴールを知ることで過去問によく出る分野から勉強できるのでおすすめ。

また、科目の相性にもよるが、暗記系の科目で、資料や過去問をPDFなどといったデータとして持っているなら、ChatGPTのようなAIにそのデータを学習させて問題作成チャットボットを作るのもおすすめ。実際僕も電車で自家製チャットボットで勉強してた。プリントとか教科書を机に広げるのめんどかったので、この方法は自分に合ってた。もし具体的にやり方を知りたければ連絡くれれば教えるで。ただ、回路図や数式は現時点ではChatGPTは得意ではないのでここらへんは技術の進歩を祈るしかない。

また、その間朝練にもほぼ毎回行ってた。土屋先生が相変わらず面白かったので行っていたのもあるが、日経新聞で世の中のどの分野にお金が動いているかを知ることで、自分が研究したいこととするべきことを明確に言語化できた。朝練担当だから言ってるわけじゃないよ。まじで朝練おすすめ。

そんな感じで本番、試験は体感80%くらい取れてたと思う。面接は情報科学院は3つくらいテンプレ質問されてヌルっと終わった。自信は70%くらいだった。

※本番終わったら点数開示もあるから担当教員に聞いてみてもいいと思う。

合格発表前に先輩とか先生から受かってるようなことをやんわりと教えてもらっていたのであまり緊張はしなかったが、自分の番号があったときはやっぱり嬉しかった。親、米澤さん(インターン先の社長)、土屋先生、いろんな人にお祝いメッセージ乞食してた。うるさくしてすみませんでした。

試験が終わってからは、前の大学のサークル合宿行ったり、一回体験してみたかった派遣バイト行ったり、最近ちょこちょこ遊びに行ってるシェアハウス(カクレガ)に顔を出したり、遊んでた。そして2024年10月1日の今に至る。

倶楽部ってなんか起業してたり意識高い人が多いし、グループに入ってはいるけどメルマガと化してるみたいな人が大半だと思う。正直、それでいいしょ。正直低学年から意識高い人見てて僕も凄いとは思いつつも、ひいてはいるからね。何かしたいと思ったときにやればいいんよ。その時は倶楽部も協力してくれるだろうし、朝練だったら僕も土屋先生も話聞くし。

 

何てったって、僕は朝練に通った結果、北大院に入れたし

 

今度は誰かに道を示しつつ、辛い時に一緒にそばにいれるような、そんな人になりたいすね。他の人みたいに、世の中変えてやるぜ!なんてデカいことは僕はやりたいと思わない。

果たして最後まで読んでくれた人って何人いるんだろな。僕視点で確認できんから文章書くのってこういうとこもどかしいよね。でもあんまこの感じで倶楽部の人と話したことがなかったので、こんなやつがいるんだな、こんなやつなんだなって思ってもらえればこの文章も書き得だったと思う。

皆さんの貴重なお時間を奪ってしまい申し訳ございません。まだ辛いこともめんどいことも山のようにあると思うけど、ほどほどに向き合って一緒に生きていきましょ!

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